あらためて気付くこともあるよね!
今回のありがたい言葉は、中区白島にある「円光寺」
何気ない言葉のようだが、この言葉、実は深く胸に沁みた。
私は常々「救われている」と実感し、尊敬している人がいる。
彼は私に偉ぶる言葉を向けるでもなく、ただひたすら健気に生きる姿を見せているだけ。
見せ付けているわけでも、決して無い。
「誠意」が見え、「思いやり」が見え、そして何より生きるということへの「逞しさ」が見える。
逞しく生きるためには、割り切る力も切り捨てる勇気も必要であろう。
壁にぶち当たった時、何を残し何を捨てるべきかを、苦しみながら判断し、そして実行する。
しかもキッパリと!
私はいつも彼のそういうところを見、勇気をもらう。
いや、盗み見し、勇気のおこぼれを拾うのだ。
私は彼のそういう態度に、何度救われたことか・・・。
だから、「パソコンちょっと教えて」と彼に言われたら、偉そうな顔をして教えてあげるのだ。
今彼は、パンツ一枚で横になり、ワールドカップの韓国戦を見ている。
「お茶!」と言われたので、麦茶のボトルを指差しておいた。
コメント
(^_-)-☆ステキな女性としてrespectしてるお一人ですよ。
だけど・・・指差しだけですまされるのは冗談でしょ?まさか~
TVドラマの災害シーンでの事ですが、自分自身を守る事は大勢の人を助けることになると・・・似たような意味ですよね!?
つまり、ご主人は、知らず知らずのうちに無償の愛を注ぎ、めるちるさんは仕方なしに受け止めているのですねっ!!
やっぱり、救われているわ。
冗談ではなく、本当に指差すだけですよー(^o^)/
麦茶は自分で入れなくっちゃ!
お互い好きなことをして生きています。
時々「お!奴はすごい!」とちら見をするわけです。
スパレさん家と同じ(^_-)