投稿

今日の感動!

1、2分を争う朝の自転車通勤時。 信号に一つ引っ掛かっただけで、遅刻は免れない状況。 これでもかとペダルに全体重を踏み込んで漕いでいたら、突然カクンと音がして、ペダルに力が無くなった。 自転車のチェーンが外れたのである。またか・・・ でも、今日の私はすごい! 自転車を飛び降り、左手でハンドルを支えたまま、右手でチェーンをつかんでいとも簡単にチェーンを元の場所に納めたのだ。 過去最短記録! これは一重に過去のチェーン脱着を繰り返した賜物! 過去の経験に感謝! 感動!! (自転車買えって?)

週末のギャング!

昨日の土曜日、いつものように息子家族が遊びに来た。 息子には3歳と1歳の息子がいる。 つまり、私にとっては孫である。 もう可愛いのなんのって・・・。 何を言っても何をしても孫は可愛い。 きっと自分の息子の幼い頃を思い起こすから、たまらなく可愛いのだろう。 なにせどういう過程で成長してきたか一度体験しているのだから。 たとえ孫がどんなことをしようが、いつでも笑って見ていられる。 眠くなってぐずるとちゃんと母親か父親のところに行くから、これもまた楽でいい! ただ、あの動きについていくのは至難の業だ。 私はまだまだ元気・・・と思っていても、なかなか機敏な行動が取れなくなった。 その日、腕相撲の勝負には嫁に勝ったが、ブログの更新をする元気はすっかり失われていた。 夜、息子家族が帰った後すぐ、じじ(主人)とちゃーちゃん(私)はぐったり死んだように床に就いたのである。

快晴の金曜日!

イメージ
さあ、快晴の朝! すばらしい一日の始まり! なにがすばらしいって、昨日も休みだったのに、明日も休み! (つまり、特別な理由があるわけではない) 脳天気の中年女はわずかな出来事でも喜ぶ・・・。 朝起きてすぐ、真西向きのベランダ側のカーテンを開けると、向こうのほうから順々に明るくなる様が見える。 「もうすぐあの朝日もこっちに来るぞ!」 まずこれだけで1ワクワク! 次に月曜日と勘違いしてゴミを集め始めるが、「おお今日は金曜日だった!」 これだけで2ワクワク! 自転車通勤途中の信号待ち、11月なのにやたら暑い日差しから私を守ってくれる木陰のベストポジション獲得! もうこれでかなりワクワクワク! そのうえ明日は土曜日だ! あとはひたすら祈るのみ・・・(どうか、1分でも早く退社時間が来ますように・・・)! まあ、無駄なワクワクも会社まであと1キロ圏内になると気持ちが仕事バージョンになり、いつしか消えうせているんですけどね。

北広島町の八幡高原へ行ってきました!

イメージ
女三人(娘二人と私)で北広島町(旧芸北町)の八幡高原へ行ってきました。 広島市内を出発した時は空が曇っていたので雨も覚悟したのですが、北広島町に着く頃は青空が広がっていました。 よかった。 ススキの穂もふくらみ、風に飛ばされる時期のようです。 冬景色も間近・・・ 再現された茅葺屋根の家。懐かしい・・・・ この写真、実は娘にカメラを預けている隙に娘が撮りました。 この写真が一番綺麗だったりして・・・

そっとしておいてよ・・・

イメージ
この不安定な場所でやっと眠れたっていうのに・・・ お願いだから起こさないでよ。 もう、起こさないでって言ったのに。 いごごちわるいなぁ。場所変えようかなぁ。 そこは入っちゃいけない領域でしょ! っていうか、ここは写しちゃいけない領域でしょう!

公園の樹木も色づき始めました。

イメージ
東区の公園もカラフルになり始めました。 色づいた樹木を見ながら、散歩をしたりジョギングをしたり・・・ 空は青空だし、空気は澄んでいるし・・・ 暑からず寒からず・・・ 私も早く朝の時間を公園で楽しめるようになりたい! いつもはその公園を横目で見ながら自転車で会社まで駆け込みます。 今日は信号待ちに遅刻覚悟で撮影しました。 覚悟をした割には遅刻を怖がり、歩道の端っこまでしか行かず・・・ 今度朝早く家を出ることができた日に、再度撮影しようかな・・・!

紅葉と枯葉・・・

山が色づく季節になった。 世の中の人々は『紅葉』だと言う。 春一番に撫でられた枝が芽吹き、初夏の風にあおられて新葉が萌える。 モクモクと萌える新緑も、セミが鳴く頃には青々と茂り、まるで夏の光を自在に操るように、 キラキラと輝く。 大きく、逞しく、一途に太陽に向かって伸びる枝。 この勢いには終わりが無いと錯覚させる。 風が吹くと山がうねるほどの葉枝。 私はここまでのどの過程を取っても好きである。 一つ一つの過程がその都度心をときめかす。 でも、山や葉が風を生む勢いも、ある日を境に風に押されるようになる。 風の温度が急激に下がり、葉ずれの音が変わってくる。 さやさやと奏でていた音が、かさかさと悲しげに鳴る。 私が殊の外好きなのは、実はこの時期の山。 山は事の次第を全て受け入れ、風に身を任せる。 「自分の限界を知る」のではなく、「自分の時期を知る」のである。 葉は日に日に色を変え、そして枝から離れていく。 決して枝にしがみつくことはしない。 多分そこのところが人々の心を打つのだろう。 その行為が美しいと思い、愛おしいと思い、郷愁を抱かせるのだ。 だから人々は「枯れかけた葉」とは言わず「紅葉」と讃える。 そしてなにより、確実に去年より枝が広がっていることを知っている。 地面に落ちた枯葉がカラカラと地面を転がるのも、間もなくであろう。