2006年8月20日日曜日

この世からの卒業!きっとおばあちゃんは天使になって飛び跳ねてるよ!

今日は兵庫県高砂市まで、姉の嫁ぎ先のお姑さんの葬儀にでかけた。

私が6年前に母を亡くしたときは、悲しさのあまり泣き暮れた。
2年前に従姉の夫が亡くなったときは、癒えない悲しみに耐えようとする従姉を傍で見ているしかなす術がなかった。
1年前に父が亡くなったとき、心から父に感謝と哀悼を捧げ、父の苦しみからの解放を喜ぼうと、努力した。
だが、未だに突然涙が溢れることを止められない。

時が流れ、歳を重ねることの悲しさを痛切に感じる。
決して時の流れは逆流しない。
もう一度あの時を・・・・と痛切に願っても、決して叶わない願いなのだ。

父の葬儀から一年経ち、少し故人として受け入れ始めた頃(今日)、
まだ受け入れられなかった一年前の自分の気持ちと同じものを持つ遺族の感情を目の当たりにし、悲しさが瞬時に蘇る。

ああ、同じ心の痛み・・・。
どれだけ悲しいだろうか・・・。

そして、これだけの人々に涙を流させるお姑さんの人生は、いかに偉大なものだったか・・・

様々なことを改めて感じた一日だった。

お孫さん(青年)が大好きなおばあちゃんを火葬する直前、今まで抑えていた涙が爆発したのと、あまりの悲しさに、一人で立てなくなった。

私が死んだらケータとハルクンはあんなに泣いてくれるかな?と思うと、また涙が溢れた。
セージがお菓子で釣ってケロリと泣き止む姿も想像して、また涙が出た。
その姿も可愛いから・・・・・


「きっと亡くなったおばあちゃんは、あなたの傍にいるよ!
 可愛いね・・・って、頭を一生懸命さすっているよ!」

そう教えてあげたかった。