2005年12月9日金曜日

通勤途中のお寺で


戸坂に「時明院(だったかな?)」というお寺がある。
このお寺の前の道は、私の通勤路だ。

毎朝このお寺の前を通るたびに、ありがたいお言葉を拝むことができる。
(誰の言葉かは知らないけど・・・)

結構いい言葉が書かれていて、毎回「なるほど・・・」と頷きながら自転車をこぐ。
でも、新しい言葉への張替え頻度は月単位よりちょっと長い。
一ヶ月以上は同じ言葉が掲示されていると思う。

前回貼り出されていた言葉も良かったので、今朝は意を決して少し早めに家を出て、絶対デジカメに撮ろうと決めた。

いざお寺の前に立つと、言葉が変わっていた。
「ん? うーーーん。この言葉は撮るべきか撮らざるべきか・・・」

一人でしばらくその張り紙とにらめっこをしていると、横から来たおばさんがお寺の前で立ち止まり、両手を合わせて拝んでいった。

これは失礼!
私が評価を下す言葉ではない。
ありがたいお言葉を私がありがたいと思うか思わないか・・・・で、評価を下されるのは自分なのだと、気付いた。というか、なんとなく感じた。というか、せっかく立ち止まったのだからデジカメに納めることにした。

悩んだ時間が遅刻を招かなければいいが・・・と心配しながらペダルをこいだら、3回チェーンがはずれた。天罰・・・天罰・・・

ちなみに前回の「おことば」は
『深いようで浅いのが知識
    浅いようで深いのが欲望』
だった。